会津の人々からの招待状

〜あなたに届ける会津の想い〜

「おまえはまだ手で描いてんのか」
それでも人の手でしか出せない漆器の「想い」を伝えたい

天保3年創業の老舗漆器店である、鈴善漆器店。

そこで蒔絵体験の講師を務め、会津漆器の蒔絵師として45年も活躍している中村光彩さんにお話を伺った。

 

会津を離れて実感した、会津の豊かさ

蒔絵師の中村さんは会津生まれ、会津育ち。就職する時に一度は会津を離れたものの、再び地元に戻ってきた。

「春は山で山菜取り、夏は川で岩魚や鮎釣り。秋はきのこ狩りへ行き、冬はスキーを楽しむ。」

会津では近くに感じられる四季が、都会に出たら急に感じられなくなった。それが一番もの寂しく感じたという。

中村さんが会津に戻って、最初に勤めたのは漆器店だった。当時は漆器に対して、特に強い思い入れがあったわけではなかったという。

衝撃を受けた蒔絵との出会い

蒔絵師になるきっかけは、たまたま勤めることになった漆器店での出会いだった。

日本全国の漆器を扱う小売店だったため、津軽塗、本庄塗、川連漆器、玉虫塗、会津塗、山中塗、輪島塗、あらゆる漆器を目の当たりにした。そこで出会った金沢の職人の蒔絵が、今でも忘れられないという。

「これが本当に人の手で作れるのか」

ものすごい衝撃を受け、蒔絵に対する印象が大きく変わり、それが中村さんの蒔絵師としての人生のきっかけとなった。

漆器が下火になってゆく中で機械化が進んでゆく

会津漆器の全盛期は今から約40年前。全盛期から職人の後継者問題はあったという。

「職人の仕事なんて年中無休で夜中の2時前に寝ることなんてなかったですから。職人の仕事は基本真夜中。その姿が、はたから見ると大変に見えるのかもしれない」

それでも、蒔絵が好きだからここまで続けてこられたのだと、中村さんは言う。

平成になり、漆器産業はどんどん下火になっていった。漆器店が次々と倒産していく中、徐々に絵付けの機械化が進み、塗りは吹き付け塗装、木地はプラスチックへと変化していった。

「これからの時代は機械化が主流になる。お前はまだ手で描いてんのか」そう言われたこともあったが、漆器の良さは機械では出せないという想いで蒔絵を続けてきた。

震災・コロナを経て、体験を通じて感じる想い

鈴善漆器店で蒔絵体験を始めた当初は、全国各地や海外からも多くの人が体験しに訪れた。

それが2011年の震災以降、全く人が来なくなった。近年は徐々に人が増えてきたのを実感していたが、今度は新型コロナウイルスの感染拡大により、大きな影響を受けた。 厳しい状況下でも、蒔絵体験を続ける中村さんの想いとは何だろうか。

「今の生活では、西洋文化が浸透し、漆器を使うことは減ってきているかもしれない。西洋文化の良さを吸収するのは良いことだけど、自国文化の良さも忘れずに取り入れてくれたら嬉しい」と中村さんは語る。

「教科書では漆器のことを習うかもしれないが、実際に手にしたり、絵付けを体験できる機会は少ない。日本には塗りがあって、絵付けというものはこうできているんだと知ることによって、愛着が生まれてきて、使うことがもっと楽しくなるのでは」。

中村さんが体験の講師を務める鈴善漆器店では、蒔絵体験ができる体験蔵の他に、会津漆器を販売する漆器蔵、会津塗職人の技術とこころを伝える伝承蔵、美術作品を展示している美術蔵など6つの蔵がある。会津にお越しになった際に、ぜひ訪れてみてはいかがだろうか。